本記事のもくじ
1. 【猛烈な違和感】子どもを『金額換算』するのはいい加減にやめろ
最近、友人知人に子育て世代が多くなり、子どもについて話すことも多くなりました。
そこで、とても気になるのが、こういう発言です。
生む前から、、、
・「大学とかでお金もかかるし、一人っ子でいいわ」
生んだ後も、、
・「ほんま子どもお金かかるわ…」
・「3人目は、大学も考えたらきついやろ…」
みなさんも、特に違和感なく、こういう発言を耳にする機会があるかもしれません。
しかし、よくよく考えてみると、これはとても違和感のあるということがわかります。
2. 食えるか食えないかの時代ならまだしも…
本当に、食料を確保して家族が生き残れるかどうか、、
というギリギリの時代なのであれば、育てるのに「必要な資源」を重視するのは良くわかります。
そうしなければ、家族やムラ全員が飢え死にしてしまう可能性があるからです。
また、国や社会によっては、生まれた子を減らしてしまうことも普通に行われていました。
それは、減らさないと食べ物が足りないので、当然に認められる行為だったのです。
それでは、いまの日本はどうでしょうか?
他の国の例に漏れず、貧富の差が広がっているとは言われますが、飢え死にすることは『不可能』です。
もし、あなたが何らかの事情で生活の糧が全く得られなくなっても、親戚や友人の助けが得られなくても、(少なくともいまのところは)社会のセーフティネットがあります。
必ず誰かが助けてくれます。
(残念ながら、まれに日本で飢え死にしてしまう方は、助けを求める方法を知らなかったか、助けを求める気がなかったかのどちらかです。。)
3. 教育費用がかかるから産まない?
「でも、大学全入時代だから、高等教育費用がかかるじゃないか!」
という声が聞こえてきそうです。
では、具体的な例で考えてみましょう。
例えば、あなたに2人の子どもがいて、ほぼ教育費用という理由だけで3人目をつくることをやめようとしているとします。
さて、まだ生まれていない3人目のあなたのお子さんの気持ちがもしも聞けるとしたら、次のうちどちらでしょうか?
A.「高等教育が受けれないんだったら、生まれるのやめとこうかな…」
B.「そんなんどうでもええから、はよ生まれさしてくれ!!」
実際の正解はわかりませんが、、、
自分の存在がそもそも現実化されないことと現実化できること、どちらを選ぶかは明々白々だと思います。
こう考えると、かかるお金だけで子供の数の意思決定をすることが、いかに違和感のあることか分かっていただけると思います。
冒頭の例のような、お金がかかることばかりを考慮すべきという前提は、どこまでも気持ちの悪いことです。
(注:私は、子どもをたくさん産めと言っているわけではありません。)
4. 子どもはお金がなくたって絶対に育つ
私自身は4人兄弟の長男です。
熊本の田舎のごく普通の家庭なので、特に「割当可能な資源」が多かった訳ではありません。
中学生くらいまで、川に魚とり・魚釣りに行ったり、竹を伐採してきて工作したり、木登りしたり、、、とノーコストの田舎遊びしかしていませんでした。
別にそれでも、とても愉しい時間でしたし、いま思うとあれほど豊かな時間の使い方もなかったかもしれません。
そして、すべて国公立の学校で、塾も習い事もそんなに行っていませんでした。
そんな自分の実体験からも、「良い教育を受けさせなくては!」というのは親としては立派な志に一見思えるのですが、それは勝手な『エゴ』なのです。
子どもは、親が余計な手出しをせずとも、勝手に自分で育っていくのです。
ちなみに、少々手厳しいかもしれませんが、自分の子が「うちはお金がないから良い学校(や塾)に行けない…」なんてもし言ったとしたら、「言い訳せずに、死ぬ気で勉強してみろ!」と喝破してしまうと思います。笑
そんな気概さえもしある子だったら、なんの心配もなく、さまざまな形で周りのサポートも得られるはずです。
5. まとめ
いかがだったでしょうか?
もしかしたら、「子どもを金額換算」するのも、以下の記事でお話しているような「拝金主義」が根底にあるのかもしれませんね。
(参考記事:日本は空気並みに感じない「ハイパー拝金主義」(概要動画つき))
あなたも、投資と同じく、世間一般であたり前のように言われていることに振り回されず、自分にとって正しい選択をしていただけたらと思います。
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