0. はじめに
無言で「ぶつかり合う」東京の人々
私が就職で初めて東京に来た時、本当に驚いたこと。
満員電車そのものはさることながら…
自分の身体がぶつかっても、
自分の荷物がぶつかっても、、
明らかに他人によけてもらわないとぶつかる時でも、、、
他人に一声もかけられない人の多さ(!)
そして、何なら他人の体当たりに体当たりで応酬する人もいて、、、
混んでいるのは仕方ないとして、声もかけられないのは別の問題ですよね。
当時の驚きは相当なものでした。
民度の低さというか、非人間性というか、そういった衝撃を受けたものです。
最近はもはや少し見慣れてしまったのですが、これってどこからどう見ても結構異様だと思いませんか?
日本人って、優しく礼儀正しい(と少なくとも本人たちはなんとなく思っている)国民ではありませんでしたっけ??
増え続けるルール・ポスター・看板
そして、私がマナー同様にかなり違和感を持つもののひとつ。
それは、「駅や電車のルールの多さ」です。
・整列乗車のためのプラットフォームのライン
・電車のマナーをしきりに訴えるアナウンスやポスター
・エスカレータへの乗り方を指示するポスター
・痴漢や暴力行為を抑止するためのポスター
…etc.
こういうの、私が東京に来てからの8-9年でも、どんどん増えていませんか?
駅や電車のマナーが悪くなったから?なのかわかりませんが、、、
1. 絶対にルールの問題ではない
まず、マナーの悪さは絶対にルールの内容や周知の問題ではないことは確認しておきたいと思います。
駅や電車に溢れるルールたちを目の当たりにして、
・「そうか、混んだ電車内では、声掛けしなくてはいけないんだなぁ」
・「なるほど、リュックは前に持たないと邪魔になってしまうのか…」
・「よし、酔ったら暴力行為をはたらく人が多いのか!オレも気をつけよう!」
などと思い、実際に行動を変える人がどのくらいいるのでしょうか?
さらにそもそも、どれもルールで縛るような話ではありません。
・他人とぶつかりそうなときは声を掛ける
・荷物は他人の邪魔にならないようにする
・他人に迷惑をかける事はしない(※暴力は当然犯罪なので論外)
といったような常識としか思えない、あたり前のことなのです。
そのため、ルールとして声高に周知することも、そもそもルールとして決めること自体もとてもナンセンスなことなのです。
2. 根本的な原因は何なのか?
それでは、本当のところの原因とは何なのでしょうか?
満員電車で体当りしている人にインタビューするわけにも行きませんし、私の想像の域を出ませんが、
東京では、社会的な緊張や圧力が高まりすぎて、もはや周囲を気遣う余裕ゼロになっていることが本当の理由だと思います。
会社などの組織、さまざまなコミュニティ、家庭、友人関係…etc.
さまざまな場所で多くの人がプレッシャーやストレスを受けて、そのような状態になっているのでしょう。
つまり、普通の精神状態ならばまともな人も、そうではなくなってしまう状況があるように思っています。
(有名な社会学者さんでも東京という都市の特殊さに注目している人がいるほどです。)
そのため、いくらルールであれやこれやと縛ろうとしても、焼け石に水と言うか、原因と対策が全く合っていないのですね。
試しに一度、ルールについてのポスターやアナウンスを撤去した駅をつくって、撤去前後で乗客の行動が変化するか、駅を観察してみれば良いと思います。
おそらく、何一つ行動が変わらないか、むしろ、無意味なルールという情報が減って、かえってみな快適に駅を使うかも知れません。。
3. まとめ:多すぎるルール=子ども扱い
ルールや指示が多いということは、一見するととても親切なようですが、
見方によっては、『利用者全員を子供扱い』していることとも言えます。
それは、良心や行動規範もなく、事細かにあれやこれやと指示しないと動けない子供だということが前提になっているからです。
例えば、ドイツ人によると、ルールとポスターで埋め尽くされた日本の駅はとても奇妙に見えるそうです。
最近は、本当に子どもが社会人になりたくないと思っているのも、至極当然ですね。
早朝から駅でタックルし合う大人に誰がなりたいのか(!)、ということです。
子どもも憧れる、余裕と分別ある大人ばかりの良い社会になってほしいものですね。
私は投資や資産形成をひとつの切り口に情報発信していますが、
最終的には心豊かな人や社会をつくることにつながっていけばと日々願っています。
コメントを残す